半原小学校レッドデビルスのページ

2001年、半原小学校でスタートしたレッドデビルスの思い出ページです

すべてはこの日から始まった・・・

2001年11月10日

この日、半原小学校では先生方やPTAが協力して学校林の下草刈りが行われることになっていました。そんな中、6年生4名と当時担任だった小野沢先生、保護者は小雨降りしきる当時の横浜国際競技場(現NISSENスタジアム)に立っていました。

その前に行われた町内の6年生が集結して行われる愛川町連合運動会の1000mで活躍する子どもたちを見て、この大会にエントリーしてみようと思い立ったそうです。4人1組のチームを組むのはなかなか大変で町の陸上クラブ所属のコーヘイ、野球はやっているけれどどちらかといえば勉強のほうが得意なユーダイ、サッカー少年のマルまではOKが取れたものの、あと一人アンカー候補が決まりませんでした。声をかけたのは短距離が得意なカッチャン。目立つことが好きではない彼をあの手この手で説得し、ようやくエントリーができたのです。

とはいえ、駅伝や陸上競技に詳しい先生がいるわけでもなく、子どもたちは登校後にジョギングを日課にしていた先生にくっついて走り、監督である小野沢先生は職員室から見守るというオリジナル?練習をして大会に臨むことになりました。

大会当日は先生と保護者の車に分乗して相模原駅に行き、そこから横浜線でスタジアム最寄りの小机駅に向かいました。サッカー少年のマルは憧れのスタジアムの芝生に入れるとワクワク!車が苦手なうえに緊張もあって車酔いしたユーダイは青い顔をしていました。

保護者にあてたプリントには「出るからには優勝を目指します!」と書いてあったものの、大会の規模と雰囲気に圧倒されてしまいました。ランシャツランパンの強そうなチーム。スポーツのユニフォームに身を包み円陣を組むチーム。揃いのバンダナを頭に巻いたチーム。どこも大会に慣れた様子。対してレッドデビルスは…普通の体操服に学校から監督が拝借してきた赤いハチマキをして巣立つ前の雛鳥のように無言で固まっていました。可哀そうな4羽の雛鳥は、その後すぐに区間ごとに分けられてしまい、心細さMAXな表情で大勢の子どもたちの中に消えていきました。

大人たちは観客席で準備をしましたが、一本の長いハチマキを渡されて戸惑うばかり。このハチマキのようなものがタスキなのはわかるのですが、これをどうしろと?状態でした。陸上協会のコーヘイのパパがど素人応援団をフォローしてくださり、私は生まれて初めてタスキの作り方を知りました(笑)その後、監督に指示された地点に声援を送るためにコースのあちこちに分散しました。

私が担当したのは中間点。そもそもスタジアムの構造が分からず指定された場所にたどりつくのが大変でした。当時3年生だったケンタ(お腹を壊して病み上がり)も一緒でした。中間地点はスタジアムの状況が全くわからず、急に足音が響いて子どもたちが走ってきたのを見てレースが始まったことを知りました。トップが来て、1,2,3…「え!!6位?!コーヘイ君6位で来た!!すごい、すごい、かっこいい!!」と飛び上がってしまいました。と同時に第2走者ユーダイ(実はうちの息子)のことが心配になりました。もともと目立って運動が得意なわけではない彼。きっと順位を落しちゃうんだろうな…落ちこむだろうな…なんて言って慰めようかな…お願い、あまり順位を落さずに走ってきてほしい。ひたすら祈っていました。

そして1,2,3…来た!6位!良かった、順位キープしてる!偉いぞ!頑張ってる!思わず大声で声をかけました。ん?心なしかスピードがあがったような気がするな。とにかく良かった!あと半分ならそんなに落ち込むことはないだろう、粘り強いところはあるし。
さてマルだ。サッカーで鍛えた足で元気に走ってくるだろうな。来た来た!1,2…え?3位?!すごいすごい!さすがマル!雛鳥みたいにちんまり見えたレッドデビルスが大きく見えます。あっという間に走り去っていきました。

その時から心臓がバクバクしてきました。次はスピード自慢のカッチャン。どんな走りをしてくれるんだろう?たしか1位か2位はバンダナを巻いたチームだったよね。この頃には周回遅れの子どもたちも混ざっていて先頭が分かりにくくなっていました。「バンダナ、バンダナ!」とおまじないのように唱えながらカッチャンの姿を待ちました。「来た!バンダナ!」あれ?バンダナの子どもの前にカッチャンがいる?!体操服に赤いハチマキ。気づけば体操服の襟を少し立てたカッチャンの姿を確認しようとケンタの手を引いて「カッチャン!頑張れ!行け!」と叫びながら走っていました。

カッチャンはそのままマラソンゲートを通って競技場の中へ。さて、私たちはどこから戻るの?完全に迷子…何とか競技場のスタンドに戻るとあれだけ人がいるのにシーンとしていました。どうだったの?レッドデビルスは?カッチャンどこ?そこに「優勝はレッドデビルス!!!」とアナウンスが響きました。そのとたん足がガクガクしてスタンドの階段が上れなくなりました。やった!すごい!「平山さん!こっち!こっち!」とマルのママが駆け寄り抱きついてきました。涙を流していました。「マル、すごかったね!3位に上げてたじゃん!」と背中をたたくと「違うよ!ユーダイが2位に上げたんだって!」と腕をたたかれました。そのとたん自分でもビックリするくらいの勢いで涙がこみ上げてきました。(人前で泣くとは思いませんでした)小野沢先生(監督)も涙を流していました。

神奈川県の中でも田舎の小さな町の小学校の子どもたちが優勝!
その時は知りませんでしたが、この大会は神奈川新聞にも事前に取り上げられていて何度が特集のように優勝予想などが出ていたそうです。前年度の大会成績から数々の強豪校が取り上げられる中での初出場初優勝。
シーンとしていたのは「え?あのチームってどこ?」状態だったようです。参加人数が多いためタスキ渡しで困らないようバンダナを巻いたりユニフォームを揃えたり工夫をこらしていたそうです。

こんな大きな大会でいきなりの優勝。なにをすればよいのかもわからないまま閉会式へ。小雨はいつの間にか大雨になり閉会式は急遽競技場の屋内ロビーのような場所で行われました。そこで6年男子部門での優勝のほかに総合優勝も果たしたことが分かりました。メンバーは金メダルを胸に、大きなトロフィーが2つ。夢のような日になりました。

優勝を狙うと言いつつ、カメラなどは何もなく当時はスマホでもなく記録するものを用意していなかったのが本当に悔やまれます…唯一あるのがマルのパパがあと少しで電池切れになるデジカメで撮ってくれたこの写真だけ。そして翌日の神奈川新聞の記事が初代デビルスの記録です。

そんな感動する大人たちの陰で「先生!兄ちゃんは金メダル1個だけど、オレなら4年5年6年で3個取れるよ!」と大口を叩いたのが3年生だったケンタです。ここからレッドデビルスが始動することになるのです。

本来ならば私はPTA本部役員だったので学校林の下草刈りに行かなくてはいけませんでした。そして運動が目立つほど得意ではない息子が皆の足を引っ張ってしまうかもしれない…その姿ばかりがよぎってしまい何も知らずに慰めたほうがいいのではないかと応援に行くのをやめようとしたら、本部の仲間たちに「こっちはいいから応援に行きなさい!」「親が応援しなくて誰が応援するの!」と背中を押されてこの日に立ち会うことができました。あとから他の場所で応援していた保護者の方や競技場にいた先生、そして本人の話から中間地点を過ぎてから順位を2位まで上げていきタスキを渡したことを知りました。「お母さんとケンタが中間地点にいるって知っていたから、そこからペースを上げようと決めていた」そうです。行ってよかったよ…と優勝を本部の仲間に伝えたら「ほらね!」と言われました(笑)

純粋に保護者として大会の応援をしたのは最初で最後になりました。
この日に経験したことが25年コーチをやるモチベーションになったことは確かです。一番大切な「子どもたちの可能性を信じること」を実感しました。

ひらやま